悪の教典の小説を読んで、その後、映画版(ストリーミング)も観た。
映画版については、ずっと以前にも観たことがあったけど、そのときは、あまりピンとこなかった。そのときは、今ほどジャズにはまっていなかったし、そのくらいの次代によくあったデスゲームものの一種かなとぼんやり捉えた。インシテミルとか、そのあたりか。また、当時は小説も未読だった。
それから、だいぶ時間があいた。 貴志さんの小説「新世界より」も読んだし、急激にジャズにハマったりして、1930年代の時代背景を調べたり音楽を聴いたりした。 悪の教典は、ぜんぜん1930年代じゃないのだが、より楽しむには、 モリタート と Mack the knife に触れるのがよかった。
まず小説を読んだ。 その翌日、にふらりと立ち寄った図書館で、たまたまモリタートの文庫本に出会って運命を感じた。 モリタートは、複雑な経緯を持つオペラ喜劇。 まったく成功すると思われていなかったが、やってみたら、どたばた感がなぜか客に受けて、大成功をおさめたという。 このモリタートをジャズアレンジしたのが mack the knife であり、当時多くのジャズアーティストによって演奏された。エラ・フィッツジェラルドがもっとも有名か。
読者と主人公は、奇妙な共犯関係におかれる。 悲劇を避けたい気持ち半分。もっと殺せという気持ち半分。 逮捕や死亡せずに目的を成就させてほしいという気持ちもあり。 できるならそこで逃げなさい、と言いたくなる。 これは、主人公が殺人犯でなくても、勇者でも、そんな気持ちをいだくものだろう。
小説版では、韻や、だじゃれが面白い。 「ゲイ術家」には思わず笑ってしまった。(今ほどLGBTにうるさくない時代) 主人公は、見ていて楽しくなる人物なのだ。
映像では、テンポ、音楽、幻覚が面白い。 小説では長々と描写しがちなシーンも、スピーディーに早業といった感じになっている。 釣井先生を吊るす場面や、最後の惨殺や、各種のブラックジャックをふるう場面。 音楽もいい。 映像を見る前に、mack the knife をたくさん聴いておいたのもあり、 私のなかで、mack the knife と惨劇が強烈にむすびついたように気がする。